時々開催、私がとっても素敵だと思う女性にインタビューする
Beautiful Woman Interview
きょうは阿南里恵さんをご紹介します♪
阿南さんは23歳で子宮頸がんが分かり子宮を全摘、
つらい抗がん剤治療などを乗り越えた女性。
いまは日本対がん協会に所属し
全国各地で自らの子宮頸がん体験を話す事で
「自分の身体を守りながら毎日楽しく生きてほしい」と訴えています。
Beautiful Woman Interview
きょうは阿南里恵さんをご紹介します♪
阿南さんは23歳で子宮頸がんが分かり子宮を全摘、
つらい抗がん剤治療などを乗り越えた女性。
いまは日本対がん協会に所属し
全国各地で自らの子宮頸がん体験を話す事で
「自分の身体を守りながら毎日楽しく生きてほしい」と訴えています。
美香「子宮頸がんが分かったのは、23歳という若さだったんですよね」
阿南「ベンチャー企業に就職し、やりがいを見つけて毎日が楽しくて仕方のないときでした。出血が気になったので女医さんばかりのクリニックを探して検査をしたら『今日、明日の早さで大きな病院で精密検査をしてください』って言われて。それから急にがん患者としての生活が始まりました。その前の日まではとっても元気だったんですよ」
美香「がんが分かった時はどんな気持ちでしたか」
阿南「母に電話して『お母さんごめん、がんになった』というのが第一声でした。
でも自分では実感がなくて。病院で検査結果を聞いて母が『気づいてあげられなかったから私が悪いんです』って泣いたのをみて初めて、自分のがんの深刻さに気がつきました」
美香「それから手術と抗がん剤治療が待っていたのですね」
阿南「はい、手術も辛かったのですが、その後2度の抗がん剤治療が辛かったです。
だって体力は奪われるし、吐き気は止まらないし。急に病人になったという感じがしました。そして、女としての精神的ダメージも相当大きかった」
美香「精神的ダメージ…」
阿南「抗がん剤は髪の毛が抜けるんですよね。最初はあんまり抜けないんだけど
日に日に抜ける量が多くなってくる。手で握ったらその分バサッて。
毎日毎日大量に抜けてその掃除をしている時の精神的なダメージは大きかったです。それまで髪を巻いたりしてオシャレするのが大好きだったから。毎日抜ける髪を自分で見るのが辛かったから、誰もいない美容室を探して、思い切って剃ってもらいました。女性としての元気が出てこないって言うのかな、それはやっぱり辛いことでした。」
美香「女性としてということで言えば、子宮っていうものは女性にしかないものだから
それを全摘するというのはとてもつらいことだったでしょう」
阿南「もちろん、子宮がなくても生きていけることは分かっていても
私は子宮をとって子どもも産めなくなる体なのに生きていてもしょうがないと思った事もありました。何のために生きるんだろうって。がん患者って一日で感情が揺れ動くんですよね。友達に慰められても、『私の気持ちなんて分かるわけない!』って思うこともありました。本当は心配してくれてありがたいんだけど、それが逆に辛かったりして。」
美香「でも、そこから立ち直られたのは何だったんですか?」
阿南「それも結局、家族や友達の支えでした。普段メールなんて出来ない母から『生きてるだけで丸もうけ』って書かれたメールがきたんです。子どもが産めなくても、生きてくれるだけでいいって気持ちが伝わってきました。そして、友達からも「お前の事は絶対忘れんから」って言ってもらえた事も大きな励みになりました。わたし、もし自分が死んだとして、自分という存在が忘れさられてしまう事が本当に怖かったんです。でも、こんな風に親や周りの人がケアしてくれたおかげで、今は生きていることに感謝できるようになったんです。5年かかりましたけどね(笑)」
美香「家族をはじめ周りの人のケア、あきらめずにケアすることですね」
阿南「がん患者には家族の支えって本当に大事だと思います。そして職場の人の支えも。
私の場合、術後にまた就職したんですけど、手術の後遺症で欠勤する事も多くなったんです。そんなとき、上司に全て打ち明けました。そして上司だけでなく職場の人にも全て打ち明けました。会社の理解があるかないかってがん患者にとっては大きいと思います。女性だけではなくて色んな方に子宮頸がんの事、知っていて頂きたいですね。」
それを全摘するというのはとてもつらいことだったでしょう」
阿南「もちろん、子宮がなくても生きていけることは分かっていても
私は子宮をとって子どもも産めなくなる体なのに生きていてもしょうがないと思った事もありました。何のために生きるんだろうって。がん患者って一日で感情が揺れ動くんですよね。友達に慰められても、『私の気持ちなんて分かるわけない!』って思うこともありました。本当は心配してくれてありがたいんだけど、それが逆に辛かったりして。」
美香「でも、そこから立ち直られたのは何だったんですか?」
阿南「それも結局、家族や友達の支えでした。普段メールなんて出来ない母から『生きてるだけで丸もうけ』って書かれたメールがきたんです。子どもが産めなくても、生きてくれるだけでいいって気持ちが伝わってきました。そして、友達からも「お前の事は絶対忘れんから」って言ってもらえた事も大きな励みになりました。わたし、もし自分が死んだとして、自分という存在が忘れさられてしまう事が本当に怖かったんです。でも、こんな風に親や周りの人がケアしてくれたおかげで、今は生きていることに感謝できるようになったんです。5年かかりましたけどね(笑)」
美香「家族をはじめ周りの人のケア、あきらめずにケアすることですね」
阿南「がん患者には家族の支えって本当に大事だと思います。そして職場の人の支えも。
私の場合、術後にまた就職したんですけど、手術の後遺症で欠勤する事も多くなったんです。そんなとき、上司に全て打ち明けました。そして上司だけでなく職場の人にも全て打ち明けました。会社の理解があるかないかってがん患者にとっては大きいと思います。女性だけではなくて色んな方に子宮頸がんの事、知っていて頂きたいですね。」
美香「20代〜30代の若い女性に最も多い子宮頸がんですが、ご自身の体験を通して一番伝えたい事は何ですか?」
阿南「私はがんになるまで、恋愛や結婚や、子育てというものは全ての女性に当たり前にやってくるものだと思っていました。だけど、23歳で子宮頸がんになり、それが出来なかった。それはとても辛い事でした。そして今も、恋をしても、その先に子どもが産めない自分のことを、好きな人にどう話すのかと考えると、そう簡単には恋愛できません。
子宮頸がんは、誰でもかかる可能性のある病気です。若い女性達には私と同じ苦しみを味わわなくて良いと思います。どうか、検診に足を運んで自分の女としての幸せを自分で守って欲しいと思います。」
阿南「私はがんになるまで、恋愛や結婚や、子育てというものは全ての女性に当たり前にやってくるものだと思っていました。だけど、23歳で子宮頸がんになり、それが出来なかった。それはとても辛い事でした。そして今も、恋をしても、その先に子どもが産めない自分のことを、好きな人にどう話すのかと考えると、そう簡単には恋愛できません。
子宮頸がんは、誰でもかかる可能性のある病気です。若い女性達には私と同じ苦しみを味わわなくて良いと思います。どうか、検診に足を運んで自分の女としての幸せを自分で守って欲しいと思います。」